因果応報 ~人に苦しみがある理由~

因果応報 その他

因果応報(いんがおうほう)は、人は善い行いをすれば善い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあると言われています。

仏教では、自分の行為によってカルマ(業)が生じて、それを自ら受け取るそうです。善い悪いは人が判断しているだけで、自分の行いの性質と同じものが、自分に返ってくるということですね。

過去生は身に覚えがない

自分の身に耐えがたい苦しみが生じれば、誰しもが「なぜこんな目にあうのか」といった不条理な気持ちになります。

仏教で、自分の行いは自分に返ってくると説かれても、それだけで納得できるひとは少ないでしょう。周りを見渡してみると、「善いことをしているのに、酷い目にあっている人」「酷いことをしているのに、善いおもいをしている人」がいるではありませんか。

どういうことでしょう?

お釈迦さん曰く、過去生が影響しているようです。因果応報にはタイムラグがあって、過去生も含まれるのです。さらに、何世代もさかのぼるので、いつの分が返ってきているかわからないのです。

自分が苦しむのは、過去生を含めて自分の行いに原因があると言われても、身に覚えはありません。通常は過去生や因果応報は知りようがないので、信じるしかないのです。

ではどうすれいいのか?シンプルに人は今から今世や来世に向かって善い行いをすればよいとなります。

もっと早く結果が分かるなら、そうしてもよいとお思いでしょうが、そればかりは各自で決められることではありません。

人は、善い行いをする以外に選択肢がない

善い行いをすると、善いカルマが作られて苦を減らせることはできそうです。悪い行いをすると、善いカルマが作られて苦しみが大きくなります。

苦しいことで滅入っていると、現実逃避したくなるかもしれません。その時は、一時しのぎにはなりますが、根本解決にはなりません。

善い行いをすればいいは分かったけれど、そもそも善い行いとは何を指すのでしょう。

善い行いとは何か

善い行いっていうけれど、具体的に何をすればいいのでしょうか?人は、ひとりひとりが違うので、万人にとっての正解はないでしょう。自分にとっての善い行いは、自分で見つけ出すしかないのです。

人にやさしくするとか人のために何かをするとか、一見よさそうなことでも、自分が満たされない状態で相手を優先すると、より心がすさむでしょう。

また、人によっては、不要な苦しみを手放すことが善い行いでもあるし、必要な苦しみに耐えることが善い行になりえるのです。だから、人が置かれている状態によって違います。

善い行いは世間の物差しで測ることはできないので惑わされてはいけません。たとえば、お金持ちが財産の一部を寄付するのも、引きこもりの人が1日5分運動習慣を身に着けるのも、同じく善行になると思います。

これは、その人の中で善行であれば同じ価値が生じます。

自分にとっての善行を見つけようとすること自体も、善行になるような気がしています。

どうしようもない苦しみに耐えるのは善行かもしれない

人は苦しみが嫌です。しかし、自分の意志とは別に苦しくなることは往々にしてあります。回避できる苦しみは回避するでしょうが、回避できない苦しみが訪れたときは耐えるしかありません。

仏教の経典にも、「神通力によって自らの過去生を知ると、酷い行いをしていたので今の苦しみを耐えるしかないと」というシーンが出てきます。

その苦しみに耐え抜くことはカルマの浄化になるのです。

なぜなら、すごく酷い行いをしている人はバチが当たればいいのにと思います。苦しみを知ることで、その酷い行いを振り返って償ってほしいと暗に知っているからではないでしょうか。

自分自身に置き換えると、自分も過去に酷いことをしたから苦しみが訪れたと考えられます。自分の事を客観視するのは難しいので、納得がいかいでしょう。しかし、結果として「どうしようもない苦しみ」となって返ってきている事実から逆算すると、そうなります。

苦しみみよって自らの行為が相殺されていきます。やがて清算されると苦しみが消え去ります。

もう一度書きますが、自ら苦しむものではありませんので、回避できる苦しみは全力で回避してください。

常に生き続けている最中

輪廻転生でも書いた通り、人の究極の目的は輪廻から抜けることかもしれませんが、それが最善かは私には分かりません。

人は生きている以上、生き続けるしかありません。生きる選択肢を選んでいるとも言いますし、生かされているとも言えます。苦しいからといって現実逃避して止まると、さらに苦しくなるという現実があります。

人生が上手くいっている状態は苦が少なく、そうでない状態は苦しいのです。

人は生きている以上、ゆるやかに後退するレーンの上に乗っているようなもので、止まれば後退して、苦しみが生じるようになっています。進めば喜びが多くなります。

輪廻を抜け出していない人は、ゴールは存在せず、ただ「喜びが多いか」「苦しみが多いか」の2択しかありません。

人に苦しみがある理由

もし、人に苦しみがなかったらどうなるのでしょう。人は何をしてもいいことになります。社会の秩序がなくなるばかりか、そもそも、これだけの社会は発展していないでしょう。

人は苦しむのは嫌です。しかし、苦しみがあるのが事実です。苦しみを減らすには、前を向いていくしかありません。しんどさもありますが、前進すると苦しみは少なくなります。人は苦しみがあるから、半ば強制的に前を向かせられている存在です。

もし、現実逃避を続けて来世に持ち越したとしても、そのカルマが転生するだけなので、同じ場所から始まることになります。

人は前を向いて歩み続けていると、喜びがあります。その喜びは一時的ですぐになくなります。また喜びを求めて進んでいくの繰り返しです。どれだけ多くの何かを得たとしても、どこかにたどり着くわけでもありません。

それでも前に進むことで、苦しみをなるべく少なくし、喜びを多くする生き方はできそうです。止まると待っているのが苦しみなのですから。人は、苦しくない状態を回避できるのが、望ましい状態だといえます。

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